【黒田勝弘】「朝鮮半島有事」への教訓 “深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい[9/30]

先ごろ日本で天皇、皇后両陛下が埼玉県日高市にある高麗神社を訪問されたというニュースを、韓国のマスコミは写真付きで大々的に伝えていた。この神社が古代・朝鮮半島高句麗から渡ってきた渡来人を祭っているということで、両陛下が古代史における朝鮮半島の日本への影響に強い関心を持たれていることを歓迎し、大喜びしているのだ。

このところ韓国人との会食でよくこの話が出る。陛下は日韓共催のワールドカップ・サッカーを前にした2001年の誕生日会見でも「(奈良時代の)桓武天皇の生母は百済王の子孫」という「続日本紀」の記述を紹介され「韓国とのゆかり」を語られている。したがって天皇陛下は韓国では“親韓派”と思われているのだ。

韓国人は古代史というと朝鮮半島が一方的に日本に恩恵を与えたように思っていて、いわば“先輩気分”で意気揚々となる。今回もそうだ。そこで韓国人にいうのが7世紀、日本が百済復興の支援軍を派遣した「白村江の戦い」だ。

百済・日本連合軍と唐(中国)の支援を受けた新羅・唐連合軍の戦いだったが、日本軍は大敗し水上で壊滅する。そのときの派遣兵力は「最低でも3万7千余」(中村修也著「天智朝と東アジア」NHKブックス刊)にもなる。あの時代にこの数はすごい。

日本にはそれほど百済への“義理”があったということだが、この故事は韓国ではまったくといっていいほど教えられていない。最近、旧百済の遺跡を観光旅行してきた日本の友人は「どこにも何の記念物もなかった!」と怒っていた。

日本には高麗神社のほか百済神社や新羅神社などが大昔からある。佐賀県の有田焼の里には「陶祖」として朝鮮陶工を祭った100年前に建てられた記念碑もある。韓国人は与えた恩恵や自らの被害はいいつのるが、支援されたことには全く知らん顔で伝えないというのは、古代史ばかりではないようだが…。

朝鮮半島をめぐる戦争の歴史としては、「白村江の戦い」の後、13世紀の「元寇」はモンゴル族の元(中国)が高麗を手先に日本に侵攻してきた。16世紀の文禄・慶長の役(韓国でいう壬辰倭乱)は、最後は朝鮮半島侵攻の豊臣秀吉の日本軍と朝鮮支援の明(中国)との戦いになった。

下って19~20世紀には日清、日露戦争など朝鮮半島を舞台に日本は清(中国)やロシアと戦っている。1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮・中国連合軍の侵略と戦う米(国連軍)韓連合軍を支援する後方基地となった。

この後方支援があったから米韓軍は何とか北からの共産主義侵略軍を撃退し韓国は国を守れたのだが、韓国では「日本は戦争特需でもうけて経済復興した」という話ばかりで「日本の支援」の効果など全く無視されてきた。

最近の北朝鮮の弾道ミサイルや核開発は日本への軍事的脅威でもありその備えは当然、必要だが、コトの本質は朝鮮半島の南北の内部対立であり「朝鮮半島有事」の問題である。その際、来るべき日本の関わり方は歴史的に見て、どのパターンになるのだろう。

歴史的経験として「白村江の戦い」の直接派兵はもちろん、直近の後方支援でさえ感謝されていないのだから「朝鮮半島有事」の際の支援の在り方には慎重を要する。過去のように“深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい。(ソウル駐在客員論説委員

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