【竹島問題】「独島描いた地図を日本で発見」 韓国がまた恣意的な解釈で歴史“捏造”[9/30]

韓国では、文献が正確に読めないままそれを恣意(しい)的に解釈し、根拠のない「歴史の事実」を喧伝(けんでん)することがよくある。

この8月2日、韓国の聯合ニュース(電子版)が「独島(竹島の韓国側呼称)を描いた『大東輿地図(よちず)』筆写本、また日本で発見」と報じると、連鎖反応のように「独島を描いた『大東輿地図』筆写本また発見…韓国領を立証する資料」(「ニュース1」電子版)、「発見された真実の証拠…独島のある『大東輿地図』筆写本」(「韓国日報」電子版)と追随報道が相次いだ。

原本にない島を筆写本で補ったワケは…

筆写本を発見したのは、韓国・慶北大学の南権煕(ナム・グォンヒ)教授で、日本人の個人が所有していたものが見つかったという。実は、1861年に制作された朝鮮の全国地図・大東輿地図の木版本(原本)には独島は描かれていない。

しかし、それより前の1834年に完成した『青邱(せいきゅう)図』(朝鮮半島の地図)には、鬱陵(うつりょう)島の東側に島がある。このため「大東輿地図の筆写本では、制作の際に木版本で抜けていた部分を補った」というのだ。

ここで問題になるのは朝鮮の文献に古くから登場する「于山(ウサン)島」の存在である。于山島は文献や地図によって位置がバラバラで、現在のどの島を指すのかも日韓で食い違うが、韓国側は「現在の独島に当たる」と主張している。竹島(独島)は鬱陵島の東約90キロにあるが、これが于山島だというのである。

大東輿地図の筆写本に話を戻すが、ここで補われた島は「于山島」とされ、南教授はすなわち「于山島=独島が描かれている」と解釈した(この見方が誤りで、補われた島が独島でないことは後述する)。

こうした解釈は、1770年に編纂(へんさん)された朝鮮の政書『東国文献備考』を論拠としているようである。東国文献備考の分註に「于山島は倭の松島(現在の竹島)だ」と記されているからだ。

杜撰というほかない考証

だが、東国文献備考に対する文献批判をきちんとしていれば、そのような安易な発言はなされなかったはずである。分註に引用された部分を原典で確認すると、そこには「于山島と鬱陵島は同じ一島である」とあるだけで、実は、「于山島は松島(独島)だ」などとは書かれていない。

なぜこんな食い違いが起きたのか。これは、東国文献備考の編纂過程で、1696年に日本へ密航した、水軍の漕ぎ手であった安龍福(アン・ヨンボク)の供述が関係する。安は帰還後、朝鮮政府に対し「松島は于山島だ。これもわが朝鮮の地だ」と供述したが、根拠のないその供述が分註に紛れ込み、原典で「于山島と鬱陵島は同じ一島」とあった部分が、改竄(かいざん)されたのである。

南教授は、改竄された分註を根拠に、大東輿地図の筆写本に描かれた島を「独島だ」と推測したようで、その考証は杜撰(ずさん)というほかない。そもそも、安の于山島に関する供述は、全くの作り話である。この点について南教授はご存じなのだろうか。

安は日本に密航する際、「朝鮮八道之図」という地図を準備していた。この地図は、1500年代の地誌『新増東国輿地勝覧』に由来する『東覧図』系統のもので、そこに描かれた于山島は鬱陵島の3分の2ほどの大きさがあり、先の『青邱図』とは違って鬱陵島の西側に描かれている。

先述の通り、竹島鬱陵島の東約90キロにあり、朝鮮八道之図の于山島を竹島(独島)と見るのは無理がある。だが安は、朝鮮八道之図に描かれた于山島を「松島(独島)だ」と証言したのである。

歴史的事実を無視した研究者の臆断

さらに、于山島が独島でない証拠として、安の密航事件をきっかけに朝鮮政府が描かせた鬱陵島周辺の地図『鬱陵島図形』がある。この地図は、朝鮮政府が鬱陵島に捜討使(調査隊)を派遣し、制作させたものである。

中でも、1711年に制作された鬱陵島図形では、于山島について、鬱陵島の東2キロほどにある「竹嶼(チュクソ)」のこととし、以後、于山島は竹嶼を指すことになった。鬱陵島図形の系統に属する地図に描かれた于山島は、独島とは全く関係がないのである。

http://www.sankei.com/west/news/170929/wst1709290003-n1.html

>>2以降に続く)